宿場そば 桑名屋 近藤 博昭 店長 HIROAKI KONDO
明治から続く「宿場そば 桑名屋」4代目店長。
明治から続く「宿場そば 桑名屋」4代目店長。
50年ほど前になりますかね、まだ20歳ぐらいの頃の話ですが学生を出たばかりでこれから将来どうしようかと思っていた矢先、蕎麦屋の店主だった親父がぽっくり亡くなってしまったんです。病気を患っていたわけでもなくずっと元気で、亡くなった日も普段通り親子の会話を交わしていたのですが、私の目の前で突然倒れあっという間に亡くなってしまいました。医師の話だとほとんど苦しまずに亡くなったと。それで急に店を継ぐことになりました。当店は明治から続く老舗蕎麦屋ですが、私は本当は継ぎたくなかった。しかし親父があのような形で亡くなり、先代から続く店を自分の代で閉じるわけにはいかないということで、しぶしぶ蕎麦屋の店主になったわけです。ですが、面白くなかった。お店は繁盛していましたが、ただ親の後を継いだだけなので蕎麦屋に心から打ち込むことが出来ませんでした。その代わり、少年野球の監督を務めたりして大好きな野球に熱中して過ごしていました。でも、どこかで変わりたいと思っていましたね。30代半ばの頃です。どうにかして面白い蕎麦屋をやろうと考え始めました。野球と蕎麦をドッキングしてみたらどうかなあと考え、お客さんが蕎麦を楽しみながら野球も一緒に応援できるような、今でいうスポーツバーのような蕎麦屋にしようかと考え始めたんです。そんな頃、運命の出会いがありました。
うちには浮世絵が何枚かあって、そのうちの一枚に安藤広重が描いた『東海道五十三次』があったんです。『東海道五十三次』は、1833年頃に東海道の宿駅を中心とした景色や習俗を描いた絵です。『東海道五十三次』には、保土ケ谷の景色も描かれています。ある日「保土ケ谷は昔こういう町並みだったのだなあ」とぼんやり絵を見ていたら、絵のなかに『二八』と書かれた看板が描かれていたのに気がつきました。「これは何だろう?蕎麦屋だろうな」と思って図書館に行って調べたんです。そうしたら、保土ケ谷の宿場にまつわる本がいーっぱい残っていたんです。421年前の江戸幕府が残した文書(もんしょ)がたくさん残っていたんですよ。その資料の多さに感激しましたね。「保土ケ谷はこんなに歴史がある町だったのか。そんな町にも蕎麦屋があった。じゃあ、保土ケ谷の歴史とうちの蕎麦屋をつなげてみようじゃないか」そう思ったんです。そこからは猛烈な情熱でもって、保土ケ谷の歴史と蕎麦の研究を始めました。当店が二八蕎麦を基本としているのも、そのせいです。昔の蕎麦は二八蕎麦(そば粉8割、小麦粉2割で作られる蕎麦のこと)が主流でした。昔は小麦粉があまり手に入らなかった。そば粉の方が手に入りやすかったから昔の蕎麦は二八蕎麦だったんです。やりがいを見つけてからは毎日蕎麦と保土ケ谷の歴史に熱中していました。自分流にメニューから建物まで一新しましたよ。当店の建物は、江戸東京博物館を作った職人さんにお願いいたしました。お客さんが当店に来たら、突然江戸時代に戻ったような気分を味わっていただきたいと思いこのような古い日本風の建物になったんです。出来上がった時は本当に嬉しかったですね。
当店のメニューは、宿場をイメージした料理です。宿場とは、街道を拠点とする場所のことです。お店が立ち並ぶ商店街のようなイメージではなく、職人や商人が街道に沿って定住し、旅人が宿泊もする長細い小さな都市といった方がイメージに近いですね。そんな江戸時代の宿場をイメージした粋なメニューを揃えています。例えば、「雪割りそば」は蕎麦にとろろ、納豆、いくらなどをそれぞれ乗せて色々な味の蕎麦を楽しんでもらえるメニューになっています。「季節のそば」は、季節ごとに蕎麦に練り込む材料が変わる蕎麦です。美味しいのは、柚子切り。柚子の皮を練りこむから、お口の中に蕎麦を入れた瞬間柚子の香りがパーっと広がります。春には、桜そばを出します。桜切りっていうんですが桜の葉っぱを練り込むんです。江戸時代からそういう蕎麦があったんです。ごまとかね。江戸時代には、12ヶ月間毎月違う種類の変わり蕎麦というものがありました。蕎麦は外食産業の始まりと言われるほど歴史があるので、様々なメニューがあるんですね。その伝統的な料理を今の人たちにも受け入れやすい味に変えて楽しめるように作っています。蕎麦屋ですから、当然蕎麦粉にはこだわっていますよ。味、風味にこだわるとどうしても蕎麦粉の値段が高くなりますが、その辺は当たり前だと思っています。伝統的な二八蕎麦にこだわっているので、ツルツルした食感を期待されるお客様には戸惑われるかもしれない。蕎麦粉の割合が多いと、どうしてもぼそぼそするし、繋ぎである小麦粉が少ないので麺の長さも短くなります。ですが、それが本来の二八蕎麦なのです。味には好き好きがあるので、押し付ける気持ちはありません。遠方から通っていただくお客様も大勢いらっしゃいますので、昔ながらの蕎麦を楽しんでいただけたら嬉しいですね。読売の文化センターで蕎麦打ち教室も20年以上やっています。たくさんの方と蕎麦の魅力を分かり合えるのはとても楽しいです。
私のように東海道の歴史探索が好きな方はたくさんいらっしゃいます。そういう方達が当店にお越しに来ることもとても多いです。 当店にお越しになるお客様だけでなく、保土ケ谷の歴史探索をとおしてたくさんの方々と出会うようになりました。一番大きなきっかけは、「保土ケ谷宿場まつり」というイベントを開催したときでした。宿場をテーマに保土ケ谷の歴史展示だけでなく、子ども大行列やスタンプラリーなど子どもから大人まで楽しめるお祭りを企画し開催いたしました。このお祭りは今でも開催されていますが、最初の5年間は私も深く関わったのですよ。30年以上前の当時は、ちょうどバブルがはじけたときで費用がかかるお祭りの開催に反対する方もたくさんいました。しかし、蓋を開けたら10万人以上もいらっしゃい大盛況でした。このイベントが大成功だったこともあり、保土ケ谷以外の東海道五十三次の別の地域からもイベント作りの手助けをして欲しいと頼まれたり、横浜市や神奈川県、国土交通省に協力をして町の特色を使ったイベントの開催など町おこしに関わるようになりました。後世に繋がる町づくりを今後もしていきたいですね。お役人じゃないからいいんですよ。私のような町を愛する一般市民が自発的にやることはとても意味があると思っていますね。
保土ケ谷の歴史を私なりに色々調べ、当時の資料を集めたことから当店はまるで資料館のようになっています(笑)。でも、この私が集めた様々な資料を見にいらっしゃる方もいますし、江戸時代の雰囲気と昔ながらの蕎麦を目的に来られるお客様もいらっしゃいます。どちらのお客様もとても嬉しいですね。蕎麦も東海道五十三次の歴史もどちらもそれぞれファンがたくさんいらっしゃいます。蕎麦愛好家の方達とどんな蕎麦が美味しいか、蕎麦について語り合うのもとても楽しいし、保土ケ谷や東海道五十三次の歴史について語り合うのも本当に楽しい。みなさんの蕎麦や東海道に対する思いを聞いているのがとても面白いですね。保土ケ谷の地域の方々には、特に歴史も蕎麦も共有できるので、お越しいただけたらとてもありがたいと思っています。
※上記記事は2022年9月に取材したものです。
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