茂田井 幸利 専務取締役(魚幸水産)のインタビュー

魚幸水産 茂田井 幸利 専務取締役

魚幸水産 茂田井 幸利 専務取締役 YUKITOSHI MOTAI

昭和26年(1951年)創業。昭和39年(1964年)に初めて店に立ち、以来、60年余り(相鉄線「天王町駅」から徒歩7分)

9歳でお店に立つ

初めてお店に出たのが昭和39年(1964年)。スパルタの親父に無理やり出された形だったね。まぐろを「切れ」って言われるんだけども、そりゃあ切れないよ。「どうしたら?」と聞いたら、「おい、見てたろ」と返された。当時は見て覚える、という時代だからね。
それからはもう仕事1本。そりゃあ遊びたかったよ、中学生の頃は特にね。夏みんなプールに行ってるのがうらやましくて。でも親父からしたら「みんなが遊んでる時に働くんだ」と。逆、逆、逆を行く人だった。親父からしたら学校も間違ってると。例えば1匹200円の魚は3匹だと500円じゃないと買ってくれない。ここでは2、3が6じゃなくて5なんだよね。9歳で初めて店に出て、もう60年近く経つことになるね。

父と母から受け継いだもの

親父の話をするとね、天才的なところがあった人だよ。発想が独創的というか、“早い”んだよね。今はスーパーは当たり前にあるでしょ。親父はあの時代に魚だけじゃなくて、肉や野菜も店に置いてたの。スーパーの走りだよね。ちょっと早すぎたし、周りが付いていくのは大変。親父は苦労した人なんだ。長野出身なんだけど、いわゆる“口減らし”で横浜に丁稚奉公で送られてきたと。10代の最初に9年間、親元を離れて暮らすっていうのは、それはつらいよね。でまあ、苦労して苦労して、昭和26年(1951年)に『魚幸水産』を立ち上げて。お袋は40歳で亡くなってるんだけど、まあ、大変だったわけだよね。若い時期は「うるさい、くそじじい」と思っていたけど、でも、亡くなってその偉大さがわかるようになったよ。いまのお店があるのは、親父とお袋のおかげだよね。

「まぐろの魚幸」

おかげさまで「まぐろの魚幸」としてみなさんに認知されてるんだけど、うちは世界でNo.1のまぐろ問屋と取引しててね。問屋さんは市場に卸すのが仕事なんだけど、うちのようなお店と取引きしてるっていうのは普通のことじゃなくて、長く扱ってきたからこその信頼の賜物だと思ってる。だから抜きん出て美味しいまぐろが手に入るし、値段もお値打ちなわけ。またこれは企業秘密だけども、先代から引き継いだ特殊な解凍方法があって、それも美味しさの秘訣だよね。
うちはお寿司も出してるんだけど、人気の秘密はネタの違いに尽きると思う。人の口ってごまかしが効かないんだ。美味しいものを食べたら、もうそれが忘れられなくなる。年末にはね、うちのまぐろを買うために朝の4時くらいからお客様、並んでくれるの。魚幸のまぐろを食べることが一年の締めになるというかね、ほんと、ありがたいと思ってます。

対面販売を今も続けて

対面販売はもう珍しいんじゃないかな。普通、メニューってお客さんが決めるでしょ。今日はお肉にしようか、お魚にしようか、何にしようか、ってね。うちはお客さんの顔と品物を見て、「これにしときな」って提案するの。押し売りじゃないよ。でも、それで納得してくれてるからお客様は来てくれるんだよね。
ブリの解体ショーをパフォーマンスとして、時折店先でやらせてもらいますけど、魚屋の切り方とはちょっと異なるんです。58年間研究し続けた茂田井流の包丁捌きを、同業者の方も全国から見に来られていますよ。店の前にブリを置いて包丁を持つとね、子ども達があちこちから集まってくる。これもお店の名物になっちゃってるよね。

地域のみなさんへメッセージ

昭和26年の創業以来、 「対面販売」という独自の方法で多くのお客様から支持されています。保土ヶ谷区のお客様にはいつもいらしていただいて、大変感謝しております。今後とも『魚幸』をどうぞよろしくお願いいたします。

 

※上記記事は2023年2月に取材したものです。
時間の経過による変化があることをご了承ください。

魚幸水産 茂田井 幸利 専務取締役

魚幸水産茂田井 幸利 専務取締役 YUKITOSHI MOTAI

魚幸水産 茂田井 幸利 専務取締役 YUKITOSHI MOTAI

  • 出身地: 神奈川県横浜市
  • 趣味: 仕事、ファッション、ジュエリー
  • 好きなアーティスト: マイケル・ジャクソン、レディ・ガガ

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