認定こども園 峯岡幼稚園 西山 俊太郎 園長 SHUNTARO NISHIYAMA
横浜市保土ケ谷区峰岡町出身。明治大学卒業後、中学校の社会科の教師に。その後「峯岡幼稚園」で勤め2005年園長に就任。2015年4月、認定こども園峯岡幼稚園(幼保連携型認定こども園)となる。園長職の傍ら、玉川大学にて非常勤講師も務めている。
横浜市保土ケ谷区峰岡町出身。明治大学卒業後、中学校の社会科の教師に。その後「峯岡幼稚園」で勤め2005年園長に就任。2015年4月、認定こども園峯岡幼稚園(幼保連携型認定こども園)となる。園長職の傍ら、玉川大学にて非常勤講師も務めている。
ここ「峯岡幼稚園」は、祖父母が始めた園です。祖父母は元小学校教員、両親も教員だったので、私は先生一家のなかで育ちました。ただ、正直両親みたいな教師になりたいとは思わなかった。私が中校生の頃、水谷豊の『熱中時代』という学園ドラマが放映されました。毎週土曜日の放送が楽しみで、水谷豊が演じた体当たりの小学校教師「北野広大」こそ、僕の目指す教師だ!、そう思ったんです。しかし、高校時代、ラグビー部での主将という重圧の中、胃の全摘出をすることになってしまいました。入院生活も長く、後遺症もあって、当然現役で大学へ行くことは難しかった。でも、どうしても教員になりたかったので浪人をして明治大学に入学し、教員免許を取りました。そして、中学校の社会科の先生になることができました。毎日とても楽しかったのですが、ある日、今から30年ぐらい前ですかね、生徒の一人から手紙をもらったんです。「先生はどうして、いつも怖い顔をするのですか?」という内容でした。それが私にとってはとても衝撃でした。その時代の教育観というのは「子どもは未熟で何も知らないから教えてあげよう」という上から目線のものが主流でした。当然、私も指示・命令・禁止教育観で指導をしていました。そういう教育観でありながら、一方「個性も大事」という話もしていました。「個性が大事と言いながら、僕は生徒一人ひとりに仮面を着ける作業をしていたのか」って考えるようになったんです。それから、生徒が心から社会に興味を持つような授業スタイルに変えました。もちろん、受験用の社会も教えながらです。そして数年ほど経ったある日、奥さんから職場へ電話がかかってきて、当時峯岡幼稚園で働いていた私の母が癌になったことを聞かされました。そこで中学校の教師をやめ、幼稚園を継ぐことになったんです。
中学校から幼稚園に来たとき、何が衝撃的だったかというと、発達障害のあるお子さん達でした。時には、意思疎通が難しいこともあり、クラス全体が困惑することもありました。担任も含め、園全体でそのお子さん達のために工夫や試行錯誤を繰り返しましたが、クラス運営がうまくいかないと担任もだんだん疲弊していきます。他の保護者たちからも「うちの子と同じクラスにしないで欲しい」と言われてしまいました。そこで、「これは特別支援教育について学び直さないといけない」と思いました。ちょうど横浜国立大学に特別支援教育の分野で尊敬する先生がいらしたので社会人入学して大学院に通うことにしました。大学院で学んだことは「排除からは何も生まれない」「困っているのはその子自身」ということ。今でこそ、共生社会とかインクルーシブという概念や言葉が知られていますが、当時はまだ浸透しておらず、大人の社会でも排除や差別がたくさんありました。差別や排除がある限り、発達障害の子が生きやすい社会にはなれません。「でも、子どもの頃から周りに色んな子がいて、それぞれ認め合って暮らしていくことが当たり前なら、きっと共生社会は実現できるだろう」そう思いました。「一人ひとりを大切にする」という問いかけを保育者一人ひとりが意識すると、どの子にも尊敬の念を持ち接することができ、その保育者がモデルとなって子ども同士も認め合いながら園生活を送れる。その姿を保護者も気づき、過ごしやすい社会への好循環が生み出されていくのではないかと思っています。
周りから分かってもらえる環境で、子どもは大きくなっていく。どんなお子さんでもそうですが、特性を持つお子さんには特に重要なことです。そのためには、一番身近にいる保育者がその子を分かってあげることが何より大事になっていきます。同時に保育者自身も周りから受け入れられる状況でなくてはいけない。先生自身が、「あなたはそれでいい」と思われているなら、その気持ちが子どもにも向くんですね。人となりとか、性格とか、得意分野は人それぞれなのだから、それを生かした方がみんなが幸せになる。昭和の名残りなのか、職場では積極的な人の方がありがたいと思われがちです。でも積極的な大人は消極的な子どもに共感することは難しい、その代わり消極的な性格の保育者は理解することが出来ますよね。例えば、自分の思いをなかなか言葉に言えない、そういうもどかしさを持っている保育者だったら、子どもがしぼり出したひと言にも、「よく言えたね」って心から言えるじゃないですか。これからの時代は、子どもそれぞれに合わせた個別最適な環境が必要になっていきます。ですので、先生も色んなタイプがいていいんだと思っています。一律の保育者集団ではなく、みんな違うということを認められる集団なら、子どもの集団もそうなっていきます。運動会のような行事のなかでも、1人ひとりに合った形での参加もありますから、みんなでそれを試していく。子どもも大人も含め、色んな案を提案しながら取り組んでいます。
子どもが幸せになるためには、お母さんを大切に守ってあげたい、という気持ちがあります。そこで、今から15年くらい前から「〇〇の会」を発足しました。子どもの特性に悩んでいるお母さん達が集まって、みんなでお茶でも飲みながら悩みや普段の気持ちを打ち明け話し合う「〇〇の会」です。また、お父さん達の集まりである「親父の会」もあります。お父さん同士で集まって、自分たちが子どものためにやりたいことを話し合います。例えば、ピザ窯を作りその窯で、ピザを作って子ども達に振舞ったり。卒園児のお父さん達もいますから、地域で繋がりながら色々なことをやりました。子ども達の「やってみたい」を応援するためには、大人達の「やってみたい」を具現化し実行することも大事です。大人が子どものモデルになる。そういう機会を設けたいと思っています。
峯岡幼稚園は家族が幸せになる幼稚園を目指しています。私自身、結婚して4人の子どもに恵まれ、奥さんと2人、幼稚園に携わりながら子育てをしていくのは大変な時期もありましたが、今は親になった子ども達から「あのときは〇〇だったよね」など、私が覚えていないたわいのないことも嬉しそうに話し、同じように自分の子に接しているのを見ると何とも幸せな気分になります。
幼稚園に携わる中で保護者様や皆様の理解や支えがあったからこそ、子どもたちの育つ環境を整えていくことができ、幼稚園として育てていただいたと思っています。それぞれの家族のカタチがありますが、それぞれのご家族の子育ての通過点として幼稚園があり続けられるよう、また、一緒に子育てをしながら保育者として、親として、地域として育っていくことを実感しながら、これまでの感謝を胸にこれからも取り組んでいきたいと思います。
※上記記事は2023年6月に取材したものです。
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