株式会社ユー・エス・シー 兼弘 彰 代表取締役 AKIRA KANEHIRO
神奈川県藤沢市出身。神奈川県立鎌倉高等学校卒業後、東京芸術大学美術学部建築学科に。同大学院美術研究科修士課程で建築専攻を修了後、横浜市内の設計事務所で経験を積み、2003年に株式会社ユー・エス・シーを設立。
神奈川県藤沢市出身。神奈川県立鎌倉高等学校卒業後、東京芸術大学美術学部建築学科に。同大学院美術研究科修士課程で建築専攻を修了後、横浜市内の設計事務所で経験を積み、2003年に株式会社ユー・エス・シーを設立。
高校の美術の先生に「東京芸大の建築学科を目指してみないか」と言われたのが、建築士の道に進むきっかけでした。大学時代は、有名な建築家のもとでアルバイトをしたりしていましたが、大学院で歴史的建造物の保存修復を専攻していたこともあり、そういったことを行っている横浜の設計事務所に就職。その流れで独立した今も、行政などを取引先に歴史的建造物や文化財の保存修復を軸に、一般建築から公共建築、古い商店街の景観づくりなどを手がけています。東日本大震災のあと、宮城県の気仙沼に9年ほど通って文化財の復興に関わったこともありますし、世界遺産である富岡製紙工場の修復にも携わっています。景観づくりだと、元住吉のブレーメン通りや神奈川区の六角橋商店街。JR保土ケ谷駅東口にあるエレベーターの設計も担当しました。歴史と文化と人のつながりを大切にしたモノづくりを大切にしています。
若い時から、古くていい建物がどんどんなくなってしまうことに危機感を持っていました。それを自分がなんとかしたいという使命感もありましたし、文化財というのは、100年以上守り継いできたものが多く、それを保存修復するというのは次の世代にバトンタッチする意味があると考えています。今、ここで壊されてしまうかもしれない建物をいったん修復して、次の100年間も生き続けるものにすること。そこに、やりがいと価値を見い出しています。自分の名前が残るようなものではありませんが、記録なり、歴史なりをつないでいくという部分では、とても意味のある仕事だと感じています。
歴史的建造物の保存修復と新築建造物の違いは、言ってみれば現代音楽とクラシック音楽の違いなのかなと思います。クラシック音楽の指揮者は創り手の作家性をはじめ、その時代のバックグラウンドをきっちりと分析して勉強して、それをリスペクトして表現しますよね。歴史的建造物には、同じようなアカデミックな作品性がありますし、保存修復の仕事は例えて言うならその様なオーケストラの指揮に近いかもしれません。昔ながらの工法ができる職人さんも減ってきていますが、自分の人脈から職人さんを集めて、自分の意志を伝えて歴史的価値を表現する形にしてもらう。そんなところが似ているなと感じています。また、この仕事はどうしても100点満点にならないのも特徴です。昔の材料で作られている分、傷んでいるし、不具合もある。それが逆に歴史性や建物の魅力や良さにもつながっていますが、完璧な快適を求めるのであれば一番新しい方法で作り直せばいいだけなので、その建物ならではの部分を残しながら保存修復していくことに難しさとやりがいを感じています。
どの仕事も大変でしたが、印象深いのは宮城県気仙沼市の造り酒屋である男山本店の店舗の修復でした。津波で漁船がぶつかってしまって、3階建の3階部分のみ残った建物を修復したんですが、木造の近代建築でモルタル部分は昭和初期のもの。それをもとに戻すのは技術的にも大変でしたが、そこに何を残すか、というコンセプトをきっちりと立てて皆さんに説明するのが非常に難しかったです。ここはもともと気仙沼の港のシンボルだったと聞き、復興のシンボルのような位置付けにしたいなと、元の材料を残すことにもこだわりました。その分、つぎはぎだらけになってしまいましたが、地域の方と一緒にがんばろうという強い気持ちを持ったことを覚えています。あとは、最近だと山手133番館。ここは昭和初期に建てられた洋館で建物の傷み具合がひどく、費用も手間も期間もかかってしまいました。結果的には、洋館の保存修復の例として広く認知されたので良かったなと思っています。いずれにしても、何世代にもわたって維持してきた人がいるから文化財になったもの。僕らの仕事というのはそれをガラッと改修してびっくりさせることではなく、受け継いできた価値を含めて建物を未来につなぐこと。そこをちゃんと見極めていきたいなと。残ってゆく建物って、残りたがっているんですよ。オーナーさんも僕らもそんな建物に呼ばれて来ているような感覚があるんです。今後もそういった建物の声をちゃんと聞きながら、真摯に向き合って行きたいです。
日本の木造住宅の平均建て替え年数は大体約30年以下。先進国で最短寿命を持つ短命住宅文化の国と言っても良いと思います。持続可能な社会を考えたときに、本来なら森が育つ時間だけ建物を残さなきゃいけない。でも、日本の林業は地産地消ができる環境にありながらも後継者不足などもあり、それを活かせずに結局世界中の森林破壊に影響を及ぼしている。いい建物を未来に残していくことは、手仕事の技術が未来にも残るという意味もありますし、その担い手の一人として建造物の保存修復の大事さを発信し続けないといけないのかなと思っています。
保土ケ谷は古くから主要な街道があり、歴史的に見ても交流や交通の拠点になった場所。私も移り住んで30年以上になりますが、そういった雰囲気がすごく好きだなと感じています。私は地域まちづくり団体の『ほどがや 人・まち・文化振興会』の事務局長としても活動していますが、地域にある歴史的資産をめぐり、文化を身近に感じてほしいと「保土ケ谷歴史まちあるきオープンヘリテイジ」というイベントを実施しています。保土ケ谷には誇れるものがたくさんあるということを知っていただきたいですし、今後はそういった保土ケ谷の魅力もより広く発信していきたいです。
※上記記事は2023年3月に取材したものです。
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